現在位置

  1. トップページ
  2. 原子力規制委員会について
  3. 原子力規制委員会関連
  4. 講演・挨拶等
  5. 更田委員長職員訓示(東京電力・福島第一原子力発電所の事故から9年にあたって)

更田委員長職員訓示(東京電力・福島第一原子力発電所の事故から9年にあたって)

2020年3月11日
原子力規制委員会委員長 更田豊志

東日本大震災、そして東京電力・福島第一原子力発電所事故の発生から9回目の3月11日を迎えました。

今日は、一人でも多くの方に事故のことを考えていただきたいと思います。また、職場の仲間と事故について語り合う時間を持っていただきたいと思います。

事故は多くの人の人生を変え、未だに多くの方々が不自由な生活を余儀なくされています。そして、これからも廃炉や環境改善に向けた長い道程が続きます。これまで以上に困難な局面が待ち構えているでしょう。その中では、何度も苦渋の決断を迫られることがあると思います。

福島第一原子力発電所では滞留水の浄化に続いて、汚染水処理によって生じた2次廃棄物の管理など、困難な戦いに多くの方があたっています。

先週からは、帰還困難区域の一部で避難指示の解除が始まりました。福島の復興に向けて数多くの努力が続けられています。

そして、原子力規制委員会、原子力規制庁は、あのような事故は二度と起こさないという決意の下、安全対策の継続的改善に取り組んでいます。

東京電力・福島第一原子力発電所事故に対する反省と事故から得られた教訓は、原子力規制委員会、原子力規制庁にとって原点であり、私たちに高い緊張感を、初心を与えてくれたものです。私たちにとって、初心を忘れないことが如何に重要であるかは論を俟ちません。

福島第一原子力発電所では困難な廃炉作業が続いています。現場の努力によって、発電所が発電所の外に危害を及ぼす可能性は極めて小さなものになっています。一方で、作業の困難さは一層高まっています。作業が安全に進められるよう注意を払いつつ、効果的、効率的な廃炉が進むよう、原子力規制委員会、原子力規制庁は十分な監視を続けていく必要があります。

東京電力・福島第一原子力発電所事故は、危害を与えるものを正しく恐れることの難しさを私たちに示し続けています。原子力規制委員会の使命は放射線の影響から人と環境とを守ることにありますが、放射線の悪影響だけを見て判断ができるわけではありません。危険因子を過小評価することが対処を誤らせてしまうのとまったく同様に、一つの危険因子を過大評価することも対処を誤ったものにしてしまいます。

規制当局が一つの危険因子に過剰に反応してしまうと、トータルのリスクを見誤ってしまいます。被ばくを少なくしようとする行動が過剰なものとなって、そのために、人の命を奪ってしまったり、事故の被害を拡大してしまったりすることは避けなければなりません。

福島第一原子力発電所の廃炉作業では、ALPS処理済水の処分方法についての選択が現在大きな課題となっています。原子力規制委員会は処分方法の選択を行う主体ではないものの、放射線の影響から人と環境を守るという責務に鑑みて、これまで一貫して「適切な処理の後、十分な希釈を行って、規制基準を守るかたちでの海洋放出を出来るだけ早期に行うべき」という見解を示してきました。これは、規制基準が守られることにより、環境、産物に対する放射線の影響が無視できるレベルよりもさらにずっと低くなるという科学的な判断はもちろん、福島第一原子力発電所の廃炉を暗礁に乗り上げさせることなく、円滑に処分方法を具体化できるという技術的な判断も含めて総合的に考慮したうえでの見解です。

私たちには、科学的・技術的観点から判断を行い、見解を持った以上、声を挙げる責任があり、この姿勢を維持していくべきだと考えています。もちろん、科学的な根拠を持たない風評によって生じる被害を出来るだけ小さくするために、原子力規制委員会、原子力規制庁も努力を尽くしていきたいと考えています。

東京電力・福島第一原子力発電所事故に係る国会事故調は、その報告書において、意図的な先送りや不作為について厳しく糾弾しています。悪意や意図的な怠慢は論外であるとしても、人間には、問題が存在しない、あっても行動をとるほどひどくはないという判断を導く傾向があります。私たちは将来を過度に軽視して、災害は起こらない、起こるとしてもはるかに先だと信じ、今それを予防しようと行動する勇気を縮ませてしまいがちです。将来に備えるための決定には常に不確実さが伴うため、この不確実さの存在が、決定をやめてしまうか先送りし、現状を維持することに私たちを引き寄せてしまいます。

人間には、現在行動することによって将来得られるメリットが極めて大きい場合でも、現在行動することに伴う犠牲、コストに強い抵抗を感じ、現状維持を望む傾向があります。起きてしまった災害の予防に失敗した者への責任追及の厳しさに比べて、起きなかった災害についてその予防に貢献した者への賞賛ははるかに小さなものになりがちです。曖昧で潜在的でしかない危害が将来起こらないように、今ある貴重な資源を投入しようとするには勇気と決断力とが必要です。

不作為による失敗を避けるため、私が特に強い注意を払おうとしている二つの障害があります。それは、優先順位付けの誤りとインセンティブの欠如です。

組織内の個人が、生じつつある問題を防ぐのに必要不可欠な知識、理解、認識を持っているにも拘わらず、行動をとるために十分な動機、インセンティブを与えられていないがために行動をとるに至らないというのがインセンティブの欠如がもたらす失敗です。

個人や組織が潜在的な脅威に気づきながら、すぐに本気で取り組むべきものではないと考えてしまうとき、優先順位付けの誤りによる失敗が起きてしまいます。正しい優先順位付けを行う上での障害は数多くあり、将来を楽観する心理的な傾向や現状維持を望む強い欲求が優先順位付けを誤らせてしまいます。

私は、正しい優先順位付けを行っているかどうか、高い優先順位をもった行動に向けて強い動機付けが出来ているかどうかが、不作為による失敗を避け、潜在的なリスクに対処することが出来るかどうかを大きく左右すると考えています。

現在、原子力規制委員会は新たな制度に基づく検査を開始するため、様々な文書の整備を進めています。規制に対する予見性を高め、業務の効率化を図るうえで文書の整備は重要なことです。一方で、これらの文書に過剰に依存してしまう風潮や姿勢は避けなければなりません。なにか判断を行う際、人は、既に記されている文書、例えばガイドなどに、あるいは、前例に頼りたくなります。

「どこどこにこう書いてある」、「これこれのときにはこうした」に判断の根拠を求めてしまいがちなのです。

決めごとや前例への依存、踏襲が過剰になってしまうと、一から自分の頭で考える、そもそもどうあるべきなのかに立ち返って考える姿勢が失われてしまい、柔軟な姿勢で検査に臨むという新しい制度が目指しているものが失われてしまいかねません。

東京電力・福島第一原子力発電所事故は、安全神話やそれまでの慣習、前例に囚われ、結論ありきで帰納的な(inductiveな)論理の組立てを行ってきたことのツケという側面を持っています。基本に立ち返り、そもそもどうあるべきなのかを自らに問い、そこから演繹的に(deductiveに)考える姿勢、既存の文書や前例が誤っている可能性を排除しない姿勢を事故は教えているのだと私は考えています。

どうか皆さん、いつもではなくても構いませんが、たとえ忙しい中であっても「どこどこにこう書いてある」、「あのときにはこうした」で考えることを止めてしまわないで、そもそもどうあるべきなのかから考えるように私と一緒に心懸けて貰いたいと願っています。

一昨年、花塚山(はなづかやま)に、昨年、安達太良山(あだたらやま)に登ることが出来ました。今年も規制庁の仲間とどこかに登りたいと思っています。

飯舘村で山菜を御馳走になったり、私は寝てしまいましたけれども、澄んだ夜空で星空を眺めた話などを仲間から聞いたりしていると、福島の自然がいかに豊かなものであるか、私にも少しわかったような気がしました。

東京電力・福島第一原子力発電所事故について、そして福島について、考えること、考え続けることは、私にとって仕事以上の意味があると感じています。

以上をもって訓示とします。

ページ
トップへ