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田中俊一 前委員長 退任挨拶

2017年9月25日
原子力規制委員会前委員長 田中俊一

それではみなさん、そんなに固くならないでリラックスして話を聞いていただければと思います。最後ですのでちょっと長くなるかと思いますがご容赦いただければと思います。

原子力規制庁を引き受けてから5年たちました。皆さんと歩んできた5年間の毎日は、私自身半世紀を超える社会人としての人生の中でもとりわけ鮮烈で心に残るものでした。しかし、この強烈な印象のある仕事も先週22日をもって終わりを迎えました。私としては体力と能力の限りを尽くしてたどり着いた終着点であり、正直言ってこの5年間の生き様にいささかの悔いもありません。満足感を持って原子力規制委員会を卒業できるのは原子力規制委員会と原子力規制庁の皆さんと志をともにして社会から付託された役割を担うことができた事にあります。改めて5年間にわたってお付き合いいただいた全ての皆さんに心から感謝申し上げます。

今日は最後となりますので、少しこの5年間を振り返りつつ少しお話をさせていただきたいと思います。5年前、東京電力福島第一原子力発電所の事故を踏まえて発足した原子力規制委員会、規制庁の役割は失墜してしまった原子力安全についての信頼をどうしたら取り戻せるかが最大の課題でした。原子力の平和利用は、核の軍事利用を廃し、原子力利用の安全をかたくなに追求する文化とシステムが無ければ成り立たないものですが、安全神話への慣れと裏腹に原子力安全に対する注意力が年々薄れてきていました。原子力科学技術という文明の果実をただひたすらに享受することに明け暮れてきた結果が東京電力福島第一原子力発電所の事故であり、その付けが我々に課せられたと言えるかもしれません。

こうした最悪の状況で発足した原子力規制委員会が最初に取り組んだことは、原子力安全規制のありかたでした。5人の委員だけでなく、池田初代長官、現在環境省の事務次官である森本次長の指導力、それに福島第一原発事故時の過酷な経過を踏まえた安井現長官のリーダーシップ等の下で全職員が参加して真剣な議論が繰り返されました。その結果として生まれたのが、原子力に対する確かな規制を通じて放射線の有害な影響から人と環境を守ることを使命とし、そのために独立性・透明性を堅持し、科学技術に基づく中立的判断を基本理念として一人一人が強い向上心と責任感を持って取り組むと言う組織理念です。独立性は原子力の安全規制を担う原子力規制組織の最も重要な要件です。国会事故調査報告書では規制のとりこという表現もされましたが、IAEAをはじめとして、国際的にも原子力の安全規制組織の独立性は最も重要な要件と位置づけられています。独立性は原子力規制委員会、原子力規制庁の生命線と言ってもよいようなものですが、これを堅持することは容易なことではありません。原子力利用における意見は多種多様です。私どもに対する意見は必ずしも科学的ではなく、時には暴力的でもあります。そうした中にあって、これまでの取り組みで名実ともに原子力規制委員会、原子力規制庁の独立性を定着させることができたのは、原子力利用の安全確保に対する一人一人の職員の揺るぎない信念があったからだと考えています。組織理念では透明性と科学的中立性も活動原則に挙げています。

私たちは発足当初から原子力の安全規制に対する信頼を得るための欠くことのできない要件として透明性を位置づけ、全ての委員会や審査会合を原則公開し、その中で科学技術を基盤とした中立的判断を堅持してきました。今は当たり前のようになっていますが、全ての会合を公開するという取り組みは我が国の行政機関としては画期的なことであり、革命的と言ってもよいものです。当初は予測できない不安や懸念もありましたが5年間の結果を振り返ると、独立性を支える大きな力となり、原子力規制に対する信頼のベースになってきたと、透明性の効用を確信しています。加えて原子力規制庁の皆さんは、公開の場で堂々と意見を戦わす中で確かな実力と精神的なたくましさを身につけてきたことが、何ものにも代えがたい成果だと感じています。

委員長として毎週の記者会見も新たな試みでした。規制庁の皆さんは記者会見に当たっては、委員長が失言しないようにと色々と準備をしてくれるのですが、私自身は記者の皆さんとの厳しいやりとりの中から、ある種のエネルギーをいただいたと実感していました。改めて毎週の会見にお付き合いいただきましたメディアの方にお礼を申し上げたいと思います。

こうした組織理念に基づいてこの5年間本当に様々な課題に取り組んできました。一つ一つあげるともう時間がいくらあっても足りないのでやめますけれども、この中で平成27年9月には川内原子力発電所1号機が稼働を再開しましたが、原子力発電所の審査は日々続いており、これまで12機の原子力発電所の審査が終わり、現在5機の発電所が稼働するに至っています。審査はまだまだ続きますが、原発の再稼働は、改めて原子力規制委員会、規制庁が果たすべき役割が新たな段階、私どもの真価が問われる段階に入ったことを意味しています。

こうした実績を踏まえて昨年の1月には国際原子力機関によるIRRSレビューを受け、そこで日本は実行的な独立性及び透明性を有する原子力規制委員会を設立したこと、東京電力福島第一原子力発電所事故の教訓を、新規制基準として迅速かつ実効的に反映させたという評価を得ることができました。その一方、このレビューでは多くの改善事項も指摘されましたので、それを積極的に受け止めてこの春には検査制度の強化を始めとした、原子炉等規制法の大幅な改正にも取り組みました。

このほかにも、核セキュリティ業務は原子力委員会から、原子炉規制法、研究炉等の原子炉規制法、放射性同位元素等規制法、保障措置、放射線モニタリング業務は文部科学省から移管されるなど原子力規制委員会、規制庁が担う業務は大きく拡大しました。また、2014年3月1日の原子力安全基盤機構JNESの統合も大きな出来事でした。放射線利用は医療、診断、研究用から産業利用まで、私たちの健康や生活に欠くことのできないもので、我が国では医療機関を始めとして約8000もの事業所で様々な放射線利用が行われています。原子力規制委員会は放射線利用にかかる安全を確保するための規制の役割を担っていますが、国民生活と密着した放射線利用をいかに安全に合理的に進めるか、原子力施設とはひと味異なる規制のあり方を工夫していただきたいと思います。

5年間の取り組みを通して私たちの基本姿勢は社会に認知されつつある反面、発足時の漠然とした原子力規制委員会、規制庁に対する見方が、原発の新規制基準適合性審査や再稼働が具体化するにつれて原発の是非論と相まって、様々な意見が寄せられるようになってきました。例えば、新規制基準の要求は過大である、あるいは原子力規制委員会の判断は独善的であるといった意見の一方、審査に合格した原発は安全か安全でないのか、安全が担保できないのであれば原発の稼働は認めるべきでない、あるいは避難計画には実行性がないといった、私どもから見ると安全神話への回帰をほうふつとさせるような意見が後を絶ちません。こうした中で、バックフィット制度は絶えず安全規制の見直しを図り、継続的に安全性の向上を図るためのシステムで、安全神話と相対する概念です。安全か安全でないかといった二者択一な議論は、福島第一原子力発電所の事故の後の原子力利用に対する我が国が抱える思い、課題が背景にありますが、こうした意見に組することは安全神話の復活につながる事を認識し、今後とも毅然たる姿勢でバックフィット制度を活用していただくようお願いします。

東京電力福島第一原子力発電所の事故を踏まえて2012年9月19日に発足した原子力規制委員会、規制庁は発足時から重い荷物を背負った山登りのようなものでした。そして私たちが挑戦している山には頂上がなく、山の何合目にたどり着いたのかさえわからないという山登りのような、と思っています。あえて言えば頂上は原子力文明を享受するに値する、安全文化であり原子力利用に関わる全ての者、全ての組織がたゆまずに着実に登り続けなければならないが、頂上には決してたどり着かない極めて過酷な山登りであるといえます。

我が国の原子力の平和利用と安全を担うのは、規制委員会と原子力規制庁の役割です。私は、この5年間の取り組みを通じて皆さんが規制庁職員として極めて大変頼もしい存在に成長していることを確信しています。私は規制委員会を去りますが、大いなる誇りと自信を持って更田新委員長、田中知委員、石渡委員、伴委員、それに新たなメンバーである山中委員と協力して国民から信頼される原子力安全規制の新たなる歴史を築き上げていくようお願いいたします。

最後にこの5年間にお世話になった全ての皆さんに心から御礼申し上げて、私の退任の挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。

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